伊平屋島の松金ホテル ビジネスに観光に

我喜屋ダムから我喜屋部落をのぞむ(写真家はてるまこう氏撮影)

島の話し、私の話。

昭和52年に松金旅館をオープンして以来、平成8年に現在の新館ホテルをオープンし、長年ホテル経営から、島の拝所を訪れる方たちの案内をすることもある、松金ホテル代表者・伊礼征男さんに、ご自身のこと、伊平屋島のことを伺いました。

 

 

伊礼さん写真

―伊礼さんは、昔から伊平屋島に暮らしていたのですか?

いいえ、父は伊平屋島、母は伊是名島出身ですが、戦前に両親が出稼ぎでサイパンに行っていましたので、私はサイパンで生まれました。
その後小学校2年生の時に沖縄本島の普天間に移住し、豊見城や那覇などに住み、サラリーマンや自営業をしていました。伊平屋島に戻ってきたのは、34歳の時です。

 

 

―なぜ伊平屋島に戻られたのですか。

両親が伊平屋島で売店(現・松金商店)を営んでいたので、そこを継ぐために戻ってきました。 那覇にいる時、ちょうど民宿も出始めていた時期ですので、伊平屋島でも民宿をやりたいと思い、伊平屋島へ戻ったと同時に、民宿もスタートさせました。

 

 

―民宿はすぐに軌道にのったのですか。

当初はしんどかったですよ。旅館をオープンさせた昭和52年当時は、伊平屋島には観光客はほとんどなかったんですよ。公共工事で島に来る人か、拝所めぐりの方がほとんどでした。 ですので、オキコ乳業(現・明治乳業)の伊平屋出張所などもやりながら、集落の公務員の先輩方に紹介してもらったり、また、拝所の案内も増えていき、口コミで宿泊客が徐々に増えてきたのが、5~6年たってからでした。

 

 

伊礼さん写真

―伊平屋島は、聖地と言われ、拝みに来る方が多いのは、なぜなのでしょうか。

そうですね、伊平屋島は「うすり高い島」「しじ高い島」とも言われ、たくさんの方が拝みに来ます。
沖縄の「拝み」というのは、家庭の悩みなどを先祖に訴えて、どうか解決に力をかして下さい、と拝所巡りをするのです。
その方たちの祖先にあたる方というのは、琉球を統一した琉球王国初めての王、第一尚氏王統の尚巴志(しょうはし)です。 その始祖にあたる屋藏(やぐら)大主が暮らしていた所が、ここ伊平屋島の我喜屋(がきや)地区なのです。 村落の少し先の海岸に建つ「屋藏墓」は、その屋藏大主のお墓で、歴史上の名所でもあり、神聖な拝みの場所でもあります。このように島の各所には歴史の深い拝所が数多くあります。
また、天照大神(あまてらすおおみかみ)ゆかりの天の岩戸伝説のある、クマヤー洞窟もあり、江戸時代の学者である藤井貞幹が唱えた場所があります。

 

拝みと琉球の歴史には、深い関わりがあることを知り、伊平屋島や琉球の歴史にも興味を持つようになり、本を読んだりして勉強しました。拝所を回ると自分もとても安らかな気持ちになりますし、お客さんと歴史についてお話しするのも楽しみのひとつなのです。

 

 

―最後に、このホテルがある我喜屋地区は村内でも原風景が多く残る地区と聞きましたが、見どころなどを教えて下さい。

はい、赤瓦にサンゴの石垣の家という昔ながらの原風景が、この我喜屋地区には多く残っていますので、ぶらり散歩するのもいいと思います。
ホテルの目の前に海、伊平屋島の象徴である賀陽山が見渡せ、集落の先には田園風景が広がる、のんびりとした風光明媚な地域です。
そしてご長寿で元気な方が多いです。うちの叔父もこの地区に一人暮らしをしているのですが、95歳過ぎて一人で身の回りのことをやっていますし、何より人と関わることが大好きです。
地域の人たちはみんなフレンドリーですので、道端などで出会ったら、ぜひいろいろと話しかけてみて下さい。そして、私たちホテル従業員にも気軽に声をかけて下さい。
「いへやじゅーてい」という伊平屋島のおもてなしの心で、従業員一同ホテルでの滞在が快適に過ごせるよう日々努力し、また、みなさんの伊平屋島の旅が心に残る旅となるよう願っています。

 

―ありがとうございました。

 

 

我喜屋地区
昔ながらの赤瓦とサンゴの石垣が
多く残る我喜屋地区

我喜屋の拝所
我喜屋地区の拝所のひとつ
龍宮の神


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